「実力も運のうち」(マイケル氏)から導かれる真理【運と実力は同じ】

雑記

運と実力は同じなのかもしれない。

れは私が人生の中でずっと考えていることで、結構正しいことだと思っている。

「運も実力のうち」とよく言われる

よく言う言葉で「運も実力のうち」という言葉があります。私はなんか変な言葉だなと感じます。

だって運は実力ではないじゃない

広辞苑によると「実力」とは

①実際に持っている力量・能力。「ーを発揮する」
②武力や腕力。「ー行使」

「運も実力のうち」という時の「実力」は①でしょう。この時、実力は持っている力量や能力を意味するので、人間内部の性質と考えられます。

広辞苑によると「運」とは

①天命。方丈記「おのづから短きーをさとりぬ」
②めぐってくる吉凶の現象。幸・不幸、世の中の動きなどを支配する、人知・人力の及ばないなりゆき。まわりあわせ。「ーが悪い」 
③特に、よいめぐりあわせ。幸運。「ーが向いてくる」

現代人がよく使うのは②の意味でしょう。③の意味は②の意味の吉凶のうち、吉の部分を取り上げていると考えられ、②について考えれれば③の意味も考えたことになります。

②の意味には「人知・人力の及ばない」とあるからもちろん人間外部にあるものです

①の天命についても、天命とは「天が人間に与えた使命」であり、与えられるということは人間の外部にあるものです。

このように、実力が人間内部のものであるのに対して、は人間外部にあるものです。

運も実力のうち」という時には、運は実力の内部に含まれていると考えているようですが、上記で見たように、外部にある運が内部にある実力に含まれているわけがないのです。

けれど、ただそう言っていても何も始まらないから、この言葉が何を言いたいのかを考えてみましょう。

運の良い人の法則

運も実力のうち」という言葉が言わんとしていることは、

外部的な運が巡った時に、その運が形となって現れるのは、実力ある人が運を活かした時であるから、運は実力ある人にしか意味がないということなのだろうか。

例えばスポーツの試合で運を引き寄せる人は、練習して実力を手に入れた人だけで、練習をサボった実力ない人に運が巡ってきても活かしきれないというようなことだろうか。

他の考え方もしてみよう。

リチャード・ワイスマン博士が運について研究したようで、その研究によると

運の良い人は運の悪い人に比べて自信を持っていて、運の良い人には4つの法則が当てはまる。

1.チャンスを最大限に広げる 
2.虫の知らせを聞き逃さない (直感を信じる)
3.幸運を期待する 
4.不運を幸運に変える

1〜4の法則はポジティブな考え方で、なんとなく良いチャンスが増えてきそうな感じがする。

運がいい人は4つの法則に当てはまる性質や、いわばポジティブに行動するテクニックみたいなものを持っていて、その性質を持っていることが実力の1つと考えれば、運も実力のうちとなる。

運がいい人に当てはまり性質を持っていること実力の1つだから、実力のうちです。

「運が実力のうちである」というのは間違ってはいなさそうだ。

実力も運のうち

私が主張したいことは「運と実力は同じ」ということです。

言い換えると「運は実力に含まれている」かつ「実力は運に含まれている」ということです。

先ほど「運が実力に含まれている」が間違ってなさそうなことを確認しました。

だから、続いて考えるべきことは、「実力が運に含まれている」ことです。

実力が運に含まれているというのは、実力が運に支えられていると言った方がわかりやすい。

マイケル・サンデル氏「実力も運のうち 能力主義は正義か?」

アメリカの哲学者マイケル・サンデル氏の著書に「実力も運のうち 能力主義は正義か?」あるが「実力も運のうち」だなと私が思ったのは出版よりも先だと思うから、本でも書けば売れていたのだろうか、

私が、実力も運のうちだなと感じ始めたのは、テニスとか卓球とかのスポーツをしている時である。

テニスにはネットインが、卓球にはエッジなどがある。

ネットインやエッジなどの球を打った選手はほぼほぼミスをしているのにも関わらず、ほんのちょっとの運があるおかげで、相手が対応できない必殺技になっているのだ。

競技でポイントを取るのには実力が必要だと思われがちだが、ネットインやエッジの場面ではミスをしかけている、つまり、実力が低い側が有利になるのだ。

このように、スポーツはある程度運に支えられている。ネットインやエッジは運の要素がかなり強い場面だが、それ以外の面も運に支えられていると思う。

ネットインやエッジがなくて、実力通りになると思われている場面も運に支えられていると思う。

わかりやすく言うと、実力を手に入れる過程が運に支えられていると思う。

まず、自分で決めることのできない遺伝子によって体格などはある程度決まってしまう。生まれる環境、例えば家庭の資金状況によっては、スポーツなどする余裕なく、働かなければいけないかもしれない。生まれる国によっては、紛争中だったり、安全な食料を手に入れられない人もいる。

いやいや、極点な例を除いて多くの人は正しく努力すれば成功できるのだ、と考える人もいるかもしれません。

ただ、努力だと思っていましている行動が、成功に結びつくかなんて誰がわかるでしょうか。

常に頭を使って努力をして成功したのだと言う人がいるかもしれません。

ただ、その頭の使い方が良かったと言えるのは、自分がうまく行ったからだけではないでしょうか。

このように考えていくと、自分が実力だと思っているものは究極的に運に支えられています

だから、実力も運のうちなのです。

受験勉強をしているときに、この考えに近い文章がありとても深く考えさせられました。

東大現代文2020評論文 小坂井敏晶「『神の亡霊』6 近代の原罪」です。ぜひ読んでみてくだいさい

「実力と運が同じ」という結論

「運が実力のうち」であり、「実力が運のうち」であることが確認できました。

高校数学の内容を用いると「運と実力が同じ」だという結論になります。

まとめると、「運も実力のうち」という言葉に違和感を感じたからよく考えてみると、運と実力は同じなのかもしれない

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