【体験記】中学受験の記憶 不合格の原因と教訓を探る

中学受験

塾講師をしていて、小学生はとても頑張っているな、と思います。

そんな時にいつも考えてしまうのが、小学生当時の自分はどうだったのか。振り返ってみたいと思います。かなり前の記憶になります。

中学受験失敗体験記というタイトルにしようかと思ったが、失敗というほどでもないので中学受験の記憶というタイトルに決定。

自分は第一志望校には不合格でした。その原因と教訓を考えます。

中学受験を終えた親御さんに読んでもらえると幸いです。特に、望み叶わず第一志望に合格できなかった方に読んでもらいたいです。

小3の終わり頃入塾

入塾テストで、きれいな計算方法のわからない問題を実際に書き出して正解したことを教室長の先生に褒められました。

ただの勧誘なのだろうけど当時は嬉しかったです。

一番上のクラスの一個下のクラスに入ることになりました。

地方で小規模の校舎の小3だから、2クラスしか無かったです。つまり、自分は勉強できない側に入れられたことになります。

小4で一番上のクラスに上がる。

下のクラスだとできるほうだったので、先生は毎回考え方を説明するように指名してきました。

テストの成績が少し上がったのかなんなのか覚えていないが、一番上のクラスになりました。

ここで、恩師に運命の出会いを果たします。

算数と理科の先生です。とてもわかりやすかったし、雑談も楽しかっった。授業を受けるのが楽しかったです。

授業中に頭痛になりやすくよく早退していた。

宿題を直前にやる、ひどい時にはサボる癖や、バスに乗り遅れて遅刻ギリギリになる癖がこの頃にはありました。

塾で同じクラスの子に好かれていました。

小5 成績をメリメリ伸ばす

算数と理科の恩師の元で、成績をメリメリのばします。算数と理科がよくできました。図形、特に立体図形が得意でした。

一番いい時で4科目で全体10位くらいをとりました。

社会と国語が苦手でした。高校の間もずっと苦手なので、生まれつき苦手ということにしましょう。

勉強をめちゃくちゃ頑張った記憶はないです。

順位が上がっていって、他の人よりも勉強得意なのかなくらいに思っていた気がします。

試験で解けなかった問題を解き直すことが実力をすごい伸ばしてくれました。トッキーという名前で先生にやらされていました。

小6 恩師が異動

小5から小6に進級するときに、例の恩師が他の教室に異動になってしまいました。とても悲しかったです。

ちょうど暗殺教室の実写版の映画が上映されていて、渚が泣きながら殺せんせーにナイフを刺して別れるシーンと恩師との別れを重ねて映画館で涙。

泣いた自分が意外だった。

高校の友達が、異動先の教室でその恩師に教わっていたことを知るのは遠い先の話です。

小6の夏 算数の問題のテキストをさぼる

小6の夏に前期の総復習をしようという問題集を解くよう指示されていたが、サボっていました。

無事合格した人は何周か解いていたな。

振り返るとここのサボりが志望校不合格の原因の一つです。

自習中の夜ご飯に買い食いしに行く人もいあしたが、自分はドトールコーヒーに行ってミルクレープを食べていた記憶があります。

小6後期 過去問を解く時期

頑張って過去問を解いていく時期です。

なぜか私は、友達の家に遊びに行くことを覚えました。

友達の家でならタブレットで動画を自由に見ることができて、ハマってしまった。

きっと油断していたのでしょう。

直前 第一志望校の前年の過去問を解く

算数がすこぶるよく解けて、特待合格者くらいの点数が取れました。嬉しかったです。

女子に算数の問題をおしえて、とせがまれることが夏以降ありました。その女子の中には自分のことを好きと言ってくれる子もいました。今振り返るとモテていますね。

塾の同じクラスの子は、「自分のことを好きな人のことを好きになれば幸せになれる。」当時の自分は、自分が好きかどうかが大事だと思っていてので、その女子の考えは全く理解できませんでした。

ただ、今になるとその考えが言わんとすることもわかります。

入試本番

滑り止めの中学に落ちました。

いつも通りに解いた手応えだったのにどして、、。(いつも感覚に任せて解いていたのがよくなかったのかも)

入試本番にホテルに泊まったが、前日の夜に筆箱を忘れたことが判明して心が乱れました。筆箱を届けてもらってなんとか平常心を取り戻しました。忘れ物がないのは大事ですね。

第一志望校も落ちてしまい、挑戦校にも落ちてしまいました。予想外でした。

受験が全て終わった後にお世話になった先生に挨拶に行った時、全部の学校に受からせてあげたかった、浮かれると思っていたみたいなことを先生に言われたのが印象的です。

滑り止めの2次試験に合格

第一志望の中学に落ちるだけでなく、通うことはないと思っていた滑り止めの中学の一次試験に落ち、どこに通うのか全く決まらずにいました。

練習校と、滑り止めの中学に一つの合格をいただいていましたが、落ちた滑り止め校の2次試験も受けることになりました。

問題を解いている最中に、「問題が全部わかる!!」と思ったのを覚えています。

倍率約10倍の熾烈な戦いの中、見事合格を勝ちとりました。

進学する学校選びに迷い、最終的に2次試験に合格した中学に進学することになりました。

第一志望に不合格になってしまった原因

直接的な原因は小6の後期に勉強をサボって友達の家に遊びに行っていたことでしょう。

どうして、友達の家に遊びに行ってしまったのかと考えると、そこには慢心があったと言わざるを得ません。

第一志望に合格できそうな成績を取れているからと言って油断していました。

油断は小4か小5のうちからしていたかもしれません。

基本的な計算や漢字などの知識を毎日勉強するためのテキストをほぼ全てサボっていたし、小6前期の算数の総復習の問題集もサボりました。

受験が終わった時に、サボっていた部分があることを母親に打ち明けました。

勉強に関しては全く干渉してこない母親でした。塾代を払ってくれて弁当作りや送り迎えをしてくレていたのにサボっていたなんてとても申し訳ないですね。

母親にサボりを打ち明けたのは、当時の自分は罪滅ぼしになると思っていたのでしょうか。

良い成績を取っていたのに第一志望校に不合格になってしまった中学受験の体験は、自分が優位な状況になった時に調子に乗ってしまう性格を認識するきっかけとなりました。

望まざる進学も、振り返ると最善であるように感じる

第一志望校でない中学に進学し、言葉を選ばなければ望み通りではない進学でした。

望まないものであったのに、卒業してみると最善のであったように感じます。

中高の友人や思い出、恋愛経験や環境の全てはここでしか得られなかったと思うと、第一志望に合格しなくてよかったとさえ思うほどです。

大学受験で良い成績が出た時に油断せず勉強に取り組めたのは、間違いなく中学受験の経験があったから。いい成績を取った時に中学受験の時と似た状況になっていることに気づき、同じ間違いは犯すまいと思っていました。

失敗することでしか学べないのかもしれん。

得られた教訓

自分は有利な状況に立った時に調子に乗りやすい。有利な状況な時に油断しないほうがいい

あと、振り返ると塾で意外にモテていたかもしれません。人生で3回あると言われるモテ期の一つだったのか??

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