私は生まれつき左利き。母方の親族になぜか左利きが多いから遺伝なのかもしれない。
世の中は右利きのために作られすぎている
駅の改札。自動販売機。配膳。会議室の椅子についている机。はさみ。書記法。
道具から仕組みまで何から何まで右利き用に作られている。
左利きの嫌がらせをしているとしか思えないのに、ネット上であまりみたことがない左利き不便あるあるは、寿司の並べ方だ。
右利きにとって取りやすいように寿司が並べられていることなんて、右利きの人は感じたことはないだろう。左利き(少なくとも私)は手をひっくり返しながら寿司を箸で取る。
ペンのブランド名の刻印が右利きの人が持った時に正しい向きで見えるように刻まれていることなんて、右利きの人が気づくことはない。
ペンに関連していうと、左から右に書く横書きという仕組みや、基本的に左から右に向かった書き順しかないこの世のほとんどの文字のせいで、押しながら文字を書かなければならない。書きにくいだけではなくて、ボールペンが詰まりやすい。
文字に関していうと、習字なんていうものは右利きじゃないとやりにくくて仕方ない。私は左利きであるのにもかかわらず筆だけは右で持ち、脅威の速度で最上位の段まで駆け上がった。逆境に負けずによく頑張ったなと感心する。
左利きの習字に関して覚えているのは、東大入試の受験会場の標識だ。法学部一号館で受験した私は「禁煙」と筆で書かれた標識が左利きの人間によって書かれたことを点画の筆の向きから一瞬で見抜いた。右利きの人間はこの事実に気づけるはずがない。さらにいうとその標識を書いたに人間は、左利きのまま筆で字を書くという屈強な精神を持ち合わせていたに違いない。右利きの人になど想像もできないストレスであったはずだ。
高級料理屋の配膳で一度だけ感動したことがある。コース料理の一品目を食べている時に左利きなことに気づいてくれて、それ以降の料理を出すときにスプーンの向きや料理の配膳を左利きようにしてくれたことがあった。黙って配慮してくれた野田が、とても嬉しかった。一流の接客だった。
だが、右利きが生活していて左利きの不便に感じることはないはずだから、そのウェイターさんは左利きだったのではないか?と予想している。
日常の中には右利き中心に作られた道具や仕組みが多く存在するが、毎日使うものだし、左利きとして生まれたその日から周りの全てが右利き用であったから、大抵のことには慣れている。
改札のタッチは右手でするし、自販機のコインも別に不便ではない。字を書くことだって慣れているからそこまで不便には感じない。
社会の利き手的マイノリティ
ただ、不満はある。排除されている感覚がある。排除というと言い過ぎかもしれないが、想定してもらえていない悲しさがある。右利きのほとんどは左利きの存在など想定していない。
大多数を占める右利きが快適に過ごすことができるのは、マイノリティである左利きが右利きの社会を受け入れてあげているからでしかなく、左利きは感謝されてもいいくらいである。
近年、性的マイノリティーの多様性を尊重するという意識が高まってきている。将来的には、左利きの権利保護を主張する社会的ムーブメントが巻き起こってもおかしくないと私は考えている。
性的マイノリティーや民族的マイノリティーの多様性を尊重するべきというのなら、利き手的マイノリティの多様性だって尊重されるべきでしょう?
利き手的マイノリティへの是正措置
アファーマティブアクションとして、電車の運賃と自販機の飲み物と寿司を左利きだけ安く買えるなんて仕組みはどうだろうか。是正措置としてこれらの値段が安くなっても然るべきと考えられるくらい、左利きの存在を忘れられている現状は苦しい。
少なくとも、左利きに配慮してくれたウェイターさんのように左利きの存在に気づいて思いやってくれるような社会であってほしい。
利き手の自認と他認
性的多様性を考える時に自認と他認という概念があるのと同じように、将来的には利き手にも自認と他認という概念が出てくるのだろうか。
そんな馬鹿なことがあるわけない、という人が大多数だろう。
しかし、生物的な性は客観的に一つに定まっているのに性の自認と他認という概念が存在しているのだから、利き手だって今はそうじゃなくても将来的にそうなることはおかしくないはずだ。
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